「Mina 6月20日号」

★「夢をかなえた人」のリアルストーリー!
 
 Mina6月20日号に、あいちゃんの記事が掲載されています。
 内容は、あいちゃんが、上京してから今にいたるまでの、いろいろな出来事が記されています。

 <15歳、春。歌手を目指し単身上京>
 −「行けばなんとかなる、本当にそう思ってた」
 3才の私は、泣き虫で人見知りの激しい、どこにでもいる女のコ。
 それを何とかしようとお母さんが通わせたのが、地元福岡の音楽スクールでした。
 当時の私は歌うこと、ステージに立つことが大好き!いろんなコンクールで入賞したんですよ。
 地元の新聞やニュースにも取り上げてもらって。
 自然な流れで「シンガーソングライターになりたい!」と思って決めちゃったんです。。。。
 中学を卒業したら東京に行こうって。
 福岡で有名になっても、東京で通用しなくちゃ意味がないって。大学に行こうとは考えなかった。
 回りに、一人で東京に出るコなんていなかったけど、お母さんも応援してくれたし。
 そのときは、みんなの期待も単純にうれしくて、「私は大丈夫!」そう思い込んでました。


 <15歳、夏。事務所に入るものの、ひとり取り残される自分>
 −「どうしよう、でも福岡には帰れない」
 
上京して、 大きな事務所に入ったんですけど、3カ月で「クビ」になって。
 お母さんの知り合いの事務所だっただけに、「まさか!」。
 入れば事務所がお膳立てしてくれるって、まかせてたのがいけなかったのかな。
 高校は芸能コース。
 まわりはみんな動き始めてるのに自分だけ置いてけぼり。正直、帰りたかった。
 でも上京する前にホテルでお別れ会まで開いてくれた地元の人たちのことを思うと、
 「何とかしないと帰れない!」って押しつぶされそうでした。


 <15歳、冬。「路上」へ。誰も立ち止まってはくれない>
 −「緊張なんでものじゃなくて……ただ怖かった」
 悩んでたある日、渋谷でギター片手に歌っている人をみかけたんです。
 それをじっと聞いてたら、気づいちゃった。
 「自分は、歌手になるっていう夢に向かって何もしていない!」って。自分が小さく見えました。
 そのときから路上ライブを始めたんです。
 最初に立ったのは、家の近所だった四ッ谷駅。通るのは、会社帰りのサラリーマンばかり。
 ラジカセを置いて、1曲だけ歌いました。
 でも、誰も立ち止まってはくれなかった。震えて、声も出てなかったし。
 結局、3回だけでやめちゃった。できなかった。勇気がなくて。
 ひとりっきりで、背中を押してくれる人もいなかったし。
 放課後になると、「頭痛い」「今日は寒いから」って、何か理由をつけては、そのまま帰ってた。


 <16歳、春。路上ライブを1000回やろうと決意>
 −「一度決めたら、最後までやるしかない!」
 勇気を出して踏み出したいから路上を始めたのに、このままじゃ意味がない!って思って。目標を決めたんです。
 昔から目標があればがんばれる性格なんで(笑) これで無理だったら、あきらめようって思った。
 再開した路上の1回目に、今でもサポートしてくれている学生サークルの人が偶然声をかけてくれたんです。
 最初はナンパかなって思ってたんですけどね(笑)



 <17歳、夏。CDを手売りし、ライブを重ねていく>
 −「人の輪が広がっていくのを感じた」
 「CDを作ろう」、「キーボードスタイルでやろう」、ってサークルのみんなとアイデアを出し合って試行錯誤しました。
 そのうちにライブもだんだんお客さんが増えてきて。 CDも数十枚ずつだけど売れてきた!
 ー番うれしかったのは、目の不自由な方が素晴らしかった」と声をかけてくれたこと!
 そして新しく作った、「CDを5000枚手売りする」、「渋谷公会堂でライブ゙を開く」、って目標 も、1年3ケ月かけて達成できた。
 私の目標がみんなの目標になって、一人じゃない、って自信がついた。……
 シングルがチャートの上位になって、雑誌で連載も始まって。でも川嶋あいは何にも変わってないんです。
 路上ライブ1000回をめざして、いまだに台車引いて渋谷を歩いてます(笑)。


<18歳、現在。待望のシングルが発売!川嶋あいの道のりは未来へと続いていく……>



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