「JUNON 11月号」

★路上の歌姫・現役高校生、川嶋あいちゃんってどんな子?
 JUNON11月号に、あいちゃんの記事が掲載されています。
 内容は、あいちゃんの紹介、そして、渋谷公会堂のライブに関してのこと、そして、これからのことなどが書かれています。
 写真付で、2ページにわたって特集されています。

 <渋谷公会堂での重大発表の後も、ファンに支えられて・・・>
 実は私、川嶋あいは、I WiSHのaiです。
 今まで秘密にしていてすみませんでした。


 ライブ中盤のMCで、彼女はそう告げると渋公に集まった約1,900人のファンらに頭を下げた。
 会場からは驚きの声と暖かい拍手が沸きあがった。

 
私には目標があったので、その目標をクリアした上でみんなに伝えたかったんです。
 渋公で伝えることは決めていました。
 それまでに10人くらいの人に、「I WiSHのボーカルですか?」と声をかけられて、そのたびに心の中で謝りながら「違う」と答えていました。
 それが本当につらかったです。
 今、毎日300件くらいのメールをいただいていて、そのメールに励まされています。
 正直、発表した後、「なんで黙っていたんだ」って怒られると思っていたから・・・うれしかった・・・


 と、やっと発表できたことで心に安らぎを取り戻したあいちゃんだけど、一番つらかったのは、やっぱり本人だったはず。
 I WiSHといえば、「あいのり」のテーマ曲「明日への扉」でデビューし、新人ながらオリコンで2週連続1位という、女性ボーカルでは
 17年ぶりの快挙をなしとげたユニット。
 現在もその曲は売れ続けている。
 情報としては、メンバーはキーボードの現役大学生naoと、現役女子高生のボーカリストaiということだけだった。
 アーティスト写真も、顔がわからないようになっていた。
 でも、彼女には顔を隠さなければならない理由があったのだ。
 
 小さい頃、とんでもない人見知りで、初めての人の前ではよく泣いていたみたいです。
 それで、3歳のときに心配した母が、歌うことでちょっとでも心を開いてくれればって、ピアノと歌を習わせるために音楽教室に入れたんです。
 だから、物心ついたときには、もう歌手を目指してた。
 私は絶対なるって思ってました。
 ただ、そのころは演歌でしたけど。

 そう、あいちゃんは、5歳のころに渥美二郎や鳥羽一郎のステージの前座に出演したり、数々のグランプリを受賞するほどの実力を持ち、
 すでに13歳のときに自分で曲を書いて歌っていた。
 そうして、地元の音楽番組に取り上げられるなどして、地元ではすでに有名人になっていた。
 「歌手になりたい」そう思うのは至極自然な流れだったに違いない。
 2001年4月、故郷の福岡から歌手になることを夢見て、希望と不安と夢と期待をいっぱい抱えて、お母さんや友達、音楽学校の先生
 たちからの盛大な見送りを受け、単身で上京。
 15歳の女の子が、誰も知らない、頼る人のいない場所でたったひとりで生活する。
 すごく勇気ある行動だ。


 <ストリートミュージシャンとの出会い>
 不安もあったけど、希望もあった。
 東京に行けば、絶対歌手になれると思っていたんですよね。
 でも、毎日寂しかった。
 毎日お母さんに電話してました。
 芸能人の多い学校だったので、クラスの子がどんどん忙しくなってゆくのに私だけ皆勤で、何のために東京に来たのか全く
 わからなくなってました。
 歌手になる道も全然見えなくて、東京に来てすぐ希望が絶望に変わりました。 

 「帰りたい。でも帰れない。どうしていいのかわからない」
 そんな失意のどん底にいたあいちゃんを救ってくれたのは、ある一人の無名のストリートミュージシャンだった。
 (8月21日に発売された1stマキシ「天使たちのメロディー/旅立ちの朝」の3曲目に、彼のことを歌った歌が収録されている)

 渋谷の路上で偶然みかけたんです。
 そのとき私は、何もしないで悩んでいるだけだったので、ギター1本で気持ちよく歌っている姿を見て、ある意味ショックだった。

 自分も路上で歌ってみよう、当時住んでいた四谷駅前の路上が、あいちゃんの最初のステージとなった。
 15歳の冬のことだ。

 
考えられないほどの勇気でした。
 もう、このときは私には路上しかなかったから、勇気を振り絞った。
 ラジカセにマイクで、歌ったのは「オリビアを聴きながら」
 でも、音が小さすぎて車の騒音にかきけされてしまって。
 1曲で逃げるように帰りました。
 もうできないと思った。

 
でも、「私には路上しかない」
 追い詰められた彼女は、ひとり路上で歌い続けた。
 が、人の足を止めることができない。見向きもされず、通り過ぎてゆく人の波。
 どんなに悲しく、悔しかったことだろう。
 そんな彼女だけど、持ち前の負けず嫌い(笑)から、自分で目標を決めて夢に突き進んでゆく。
 あいちゃんには3つの目標があった。
 まず最初に挙げたのが、「路上ライブ1,000回やる」ということ。

 
目標ってあるといいですね。
 目標がないと、今日はライブやめよう、みたいになってしまうので。


 <手売りCD、初めての売り上げは宝もの>
 歌う場所を渋谷に変え、あいちゃんが1,000回の路上ライブ達成に向けてストリートで歌っているときに、大学生の人たちが
 「頑張ってるね。僕らにできることがあったら協力するよ。」
 と声をかけてくれた。
 16歳の5月。あいちゃんは高校2年生になったばかりだった。

 神様にみえた。
 本当にうれしかった。
 みんないい人でよかったです。

 ここで、「1年後に渋谷公会堂で単独ライブをやる」という目標を決めた。
 そうして、学生スタッフと彼女の二人三脚の旅が始まった。
 一人ぼっちだった東京。
 でも、今は心強い仲間たちがいる。
 そのときの彼女の喜びは私たちには計り知れないものがある。
 こうして、初めての手売りCD「この場所から・・・」を02年7月に発売。
 この時点で3つ目の目標「手売りでCD5,000枚売る」ことを決めた。

 初日にCDが19枚売れました。
 その売り上げ、4,935円は私の一生の宝物。
 机の中に大切にしまっています。
 このお金は何があっても使わない。そう決めてます。
 私が死ぬときに棺おけに入れてもらいたい。

 学生たちのバックアップで、徐々にあいちゃんの評判は渋谷中に知れ渡ってゆく。
 CDが売れ始める。
 次々とレコード会社や事務所から声がかかるようになった。
 そんなときだ、「あいのり」の話が来たのは。
 ぴゅあでまっすぐな彼女の楽曲が「あいのり」のテーマにぴったりだったのだ。

 話がきたときは、すごくうれしかった。でもデビューすると、路上ができなくなる。
 その上、渋公もだめになる。
 だからお断りしたんです。

 応援してくれている学生さんたち、そして大好きなお母さんの顔、つらかった日々、CDが初めて売れた日のこと。。。
 彼女の頭の中に次々といろんなことが浮かんだことだろう。
 頑張りやのあいちゃんは自分が掲げた目標は絶対達成すべく、頑張る子だ。
 言った事は最後までやる。
 そして、川嶋あいとして、渋公のステージに立つ。
 これだけは絶対に譲れなかった。
 そこで、デビュー後も路上にたつための方法として、レコード会社から提案されたのが、ユニットでデビューしないかということだった。
 
 
顔がわからないようにすること、I WiSHとしての活動をレコーディング以外しないことを約束してもらいました。

 それもこれも、川嶋あいとしての目標を達成させるため。
 こうして、I WiSHはデビューしたのだけど、「明日への扉」は大ヒット。
 ちょっと複雑な気持ちになったのも事実だ。

 前までは「I WiSHは私のライバル、目標だ」って自分の中でそう言い聞かせてました。
 でも、今は両方とも大切な存在。
 川嶋あいは私自身、I WiSHはnaoさんと作る私自身。

 
 <夢に大切なもの・・・それは踏み出す勇気>
 そして彼女は、「川嶋あい」として路上に立ち続けることができたのだ。
 念願の渋公も、レコード会社の力は一切借りずに、今まで頑張ってきた学生スタッフのみんなと力を合わせて成功することができた。

 レコード会社さんの力を借りなかったのは、ゼロから協力してくれた学生さんたちと夢をつかみたかったから。
 ステージは、みんな経験したことないことばかりで、正直ミスばかりでした。
 みんな、休み返上で手伝ってくれた。いい思い出ばかり・・・

 今まで何度くじけそうになったことだろう。
 でも、夢をあきらめずに、しっかりと前を見据えて進んできた彼女。
 夢を実現させるために大切なことを聞いてみた。

 
踏み出す勇気だと思う。
 思いっきりやってみて結果だめだったら、後悔しないと思う。
 私も路上に出なかったら、一生後悔してたと思うんです。
 踏み出す1歩の大切さです。
 あと、頑張っている人には、誰かが必ず手をさしのべてくれると思う。
 私も、今まで何度か音楽に助けられたり、勇気づけられたりしました。
 もし、私の歌が、何かのきっかけになってくれるならうれしい。
 「川嶋あい」として、I WiSHと同じくらいたくさんの人に聴いてほしいです。

 川嶋あい、17歳。
 大きな翼を広げ、彼女は今大空へ向かって飛び出したばかりだ。

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